組織団体の説明責任と言論の自由

フライングです。

ブログのリンクから確認してもらえれば分かりますが、突然にブログが消されることがあります。本日2017年6月3日にも某ブログ・サイトの全てが消されていました。なので、法人格を有する団体の責任について考えます。

(前置き)
事前に何の連絡も議論もなく削除行為などを行うのは、民主主義や社会正義、議論する社会などを考える観点からもまったくのナンセンスであり、非を認める行為です。問題があれば、どこの部分がどう問題なのかを明らかにしてください。このような一方的な言論妨害で果たして社会正義が貫けるのでしょうか。普段から社会正義を噛合する団体としてはあるまじき行為です。
逆に聞きますが、こういった言論妨害を平然と行い、「おかしいことをオカシイと言えない」「国民が議論できない」「被害者が泣き寝入りする」ような国が民主主義であり、平和でまともで美しい国と言えるのでしょうか。もうこれは軍国独裁以外の何者でもありません。国民全体に問いたい問題です。下記のことをよく考えてください。

(本文)
まず法人格を持つような組織団体は、個人とは比較にならないほどの透明化と説明責任があることを理解してください。これが慈善行為を伴うものであれば尚更のことだと言うことは大体想像できることだと思います。
これらの存在は社会的責任があるということが良く説明されていません。また言動も大きく履き違えていますので、よく理解する必要があります。例えば慈善行為だと、何を持って慈善だと判断するのかは、それに関する全ての情報公開をもって外部の人たちが判断することでしか分からないと思います。閉鎖的暗黙的な手前味噌で、かつ抽象的で曖昧な情報からは何も判断できないのです。その的確な情報を元に社会通念上において、その組織団体が正当性のある理にかなった行動をしているかを判断する権利義務が発生します。
もう一つ大事なことは、民主主義とは議論する社会です。問題点があれば、公において議論し大多数の人間に理解させる義務が発生します。個人より組織団体の方が圧倒的に規模と力を持つことは分かると思いますが、その正当性を担保するには公の日の本で公明正大に開示され議論される。これらのことが当たり前のことだという認識が欠如しているように見えます。
オカシイことはオカシイと言える社会。そして全ての事実情報を国民全てに理解してもらって議論すること以外には、あらゆる問題の解決は有り得ないということです。これは民主主義の根幹であるということを理解する必要があります。成否を判断するのは国民全体による大多数の常識と判断です。現在の日本メディアではその殆どが、この大前提である適切な情報を伝える機能を失っています。都合の悪いことは報道されず、また提供される情報も偏向歪曲捏造が多く、民主主義の根幹が揺るがされています。ネットにおける大手掲示板サイトなども同じ傾向があります。これは民主主義にとっては由々しき問題なので、国民全体で考えていく必要がある大事な要素です。

#法人格 #宗教法人 #責任 #言論

 

 

 

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